大判例

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大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)153号 判決 1966年4月27日

原告

谷村篤

(ほか四名)

右五名訴訟代理人

奥田忠司

奥田忠策

安村幸

原告

山口天龍

被告

宝樹寺

右代表者代表役員

和田龍遵

右訴訟代理人

赤鹿勇

木田好三

宮武太

右赤鹿訴訟復代理人弁護士

竹内知行

太田全彦

出宮靖二郎

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事   実<省略>

理由

第一原告ら五名の第一次請求及び原告山口の請求について

一、原告ら五名及び原告山口が第一一乃至五の家屋につきそれぞれ所有権確認を請求するに当たり、その請求原因として主張するところは、第一の一乃至五の家屋を含む大阪市天王寺区上本町六丁目四番地上に在る四棟一六戸の建物は、昭和二二年、沢悦朗がこれを新築し、同人の所有に属していたところ、双葉織物株式会社が沢から代物弁済により右建物全部の所有権を取得し、同三〇年九月二七日、その所有権移転登記をした上、中谷良太郎に対しこれを売り渡し、ついで、右中谷は、右建物の内、原告谷村に対して第一の一の家屋を、原告中村に対して第一の三の家屋を、原告森本に対して第一の四の家屋を、原告渡辺両名の先代渡辺庄一に対して第一の二の家屋を、内藤進に対し第一の五の家屋をそれぞれ売渡し(原告渡辺両名は右庄一死亡により第一の二の家屋所有権を相続し)、原告山口は内藤進より第一の五の家屋を買い受けたもので、それぞれ原告らの所有に属するというにあるところ、被告が沢及び細見喜代次を被告として、大阪地方裁判所に対し右一六戸の建物の所有権確認を求める訴訟を提起し、右訴訟は昭和二五年(ワ)第一五四八号事件として同裁判所に係属し審理を重ねた結果、昭和二九年八月六日に口頭弁論が終結され、同年九月一五日被告(右事件の原告)勝訴の判決が言い渡されたので、沢及び細見は右判決を不服として大阪高等裁判所に控訴したが、昭和三五年一〇月に至つて右控訴を取り下げたことは、当事者間に争いがない。よつて、右一六戸の建物がかつて沢の所有に属していたか否かかの判断はしばらく措き、被告及び沢の間において、右建物の所有権が被告に存することを確認した右一審判決が、沢のした控訴取下により確定したかどうか、及び右判決が確定したとして、双葉織物がその口頭弁論終結後における沢の承継人というべきであるかどうかについて検討する。

二、まず、右一審判決が、沢及び細見の控訴取下により確定したかどうかについて考えてみる。

(一)  原告らは、沢及び細見が控訴を申し立てた後、近畿土地において右一六戸の建物のうち一戸の家屋(原告ら所有家屋とは異なる一戸)が自己の所有である旨主張して右訴訟に当事者参加をした以上、沢及び細見としては右訴訟から脱退するか、なお当事者として留まるかのいずれかを選択すべきであつて、控訴の取下をすることはできないから、右控訴の取下は無効であり、仮に無効でないとしても、右控訴の取下は、これを訴訟からの脱退と解すべきであると主張し、昭和三五年一〇月沢及び細見が控訴を取り下げたことは前示のとおりであり、原本の存在及びその成立につき争いのない甲第一六号証によると、近畿土地は沢及び細見が控訴を申し立てた後右一六戸の内一戸(但し原告ら主張の所有家屋と異なる一戸)が自己の所有であると主張し、昭和三二年四月一六日付当事者訴訟参加申立の書面に基づき控訴審において当事者参加を申し立てたことを認めることができ、右認定に反する証拠がない。

ところで、右一審判決は、右一六戸の建物全部が被告の所有であることを確認し、被告勝訴の判決をしたのに対し、近畿土地が控訴審において当事者参加をし、被告(右事件の被控訴人)に対し、所有権が自己にある旨の確認を求めた家屋は、右一六戸のうちの一戸であるから、右一戸については、沢及び細見に対し参加人から請求があると否とにかかわらず、いわゆる三面訴訟の関係が生じたというべきであるが、第一の一乃至五の家屋を含む他の一五戸の建物については、近畿土地が当事者参加をした後も、依然として、被告と沢及び細見の間で、通常の控訴事件として被告の請求の当否が争われていたにすぎないといわねばならない。しかして<証拠>によると、沢及び細見は取下の範囲を明示することなく控訴の取下をしたことが認められるから、右取下は、参加人たる近畿土地がその所有家屋であると主張する一戸についての控訴についてもなされる趣旨であつたというべきところ、かかる場合、右一戸についても有効に控訴を取り下げうるものと仮定すると、控訴の取下には相手方の同意を必要としない(民事訴訟法三六三条二項参照)ことから考えて、これにより一審判決が確定することになる結果、近畿土地が一審口頭弁論終結後の承継人であるときには、一審判決の既判力を受けることになり、(参加人が一審口頭弁論終結前の承継人であるときは、右既判力を受けることがない。)、近畿土地としては、参加の申出をしていながら、沢の恣意によつて右既判力のため被告に対する請求を棄却されるという甚だしい不利益を蒙るに至る結果を承認しなければならないことになるから、かかる場合には民事訴訟法六二条を準用して沢の右控訴の取下は参加人たる近畿土地の不利益においてはその本来の効力を生ずるに由なく、その要件を充たす限りこれを訴訟からの脱退としての効果を認めうるにすぎないと解するのが相当であるけれども、第一の一乃至五の家屋を含む他の一五戸の建物については、前示のとおり右控訴審においても被告及び沢、細見の間で被告の請求の当否が争われていたにすぎないから、沢及び細見は自らの意思のみによつて右一五戸についての控訴を有効に取り下げることができるというべきであるから、第一の一乃至五の家屋を含む一五戸の建物についての控訴は、沢及び細見によつて有効に取り下げられたというべく、従つて沢の控訴取下そのものの効力を争う原告の右主張は失当である。

(二)  原告らは、前示控訴が取り下げられた当時、沢は既に双葉織物に対して右一六戸の建物の所有権を譲渡していて、右建物について何らの権利も有しておらず、したがつて当事者適格を有していなかつたにもかかわらず、同人が当事者参加人の地位を無視して控訴を取り下げたのは、取下権の濫用であつて、右控訴の取下は無効であると主張し、双葉織物が沢より右一六戸の建物につき代物弁済を原因として所有権移転登記を取得したのが昭和三〇年九月二七日であることは当事者間に争いがなく、又双葉織物が実体法上代物弁済によつて所有権を取得したのは被告の主張によつても昭和二九年一二月二一日であつて、結局沢が控訴を取り下げた当時沢が右一六戸の建物について権利を有していなかつたことも当事者間に争いがないけれども、所有権確認訴訟においては、目的物につき所有権があると主張する者が右所有権を争う者を相手方として訴訟を提起しこれを維持している限り、これによつて双方に当事者適格が具備されているのであつて、これ以上に、双方のどちらかが実体法上の所有権を有していることは必ずしも必要でないことはいうまでもなく、したがつて、沢は右控訴取下の当時当事者適格を有していたというべく、又二(一)において説示したところにより明らかなとおり、右控訴取下によつて参加人たる近畿土地の地位が無視されたわけでもないから、沢の控訴取下をもつて取下権の濫用であるということができない。

(三)  そうすると、第一の一乃至五の家屋を含む一五戸の建物については、昭和三五年一〇月沢及び細見が控訴を取り下げたことによつて、被告勝訴の一審判決が確定し、右事件の口頭弁論終結時たる昭和二九年八月六日において近畿土地関係の一戸を除いた右一五戸の建物は被告の所有であることが沢及び細見と被告との間に確定されるに至つたといわねばならない。

三、次に、双葉織物―従つてその承継人たる原告等―が右一審判決における沢の口頭弁論終結後の承継人であるかどうかについて考えてみる。

(一)  双葉織物が前記一六戸の建物について、沢より代物弁済により所有権を取得した旨の登記をしたのが昭和三〇年九月二七日であることは、当事者間に争いがないが、双葉織物が実体法上沢より代物弁済によつて右一六戸の建物の所有権を取得した日について、原告らは昭和二九年四月三〇日、同年五月一〇日、及び同年七月二八日のいずれかであると主張し、被告は昭和二九年一二月二一日である旨主張するので、この点について検討するに、<証拠>によると、沢は双葉織物のため昭和二八年一一月二五日、債権極度額を金二、〇〇〇、〇〇〇円、期間を昭和二九年九月九日として右一六戸の建物につき第一順位の根抵当権を設定し、双葉織物は沢に対して織物類を売り渡すこととなり、沢は右代金の支払いを怠つたときは双葉織物に右建物を金二〇〇、〇〇〇円と評価し代物弁済としてその所有権を取得しうる旨代物弁済契約の予約をしたこと、而して沢の双葉織物に対する代金債務は金三、四六二、八〇五円に達したに拘らず、沢はこれが支払いをしなかつたので、双葉織物は沢に対し昭和二九年五月一〇日付及び同月一四日付各内容証明郵便をもつて右一六戸の建物を代物弁済として取得する旨予約完結の意思表示をした上、大阪地方裁判所に対し沢を被告として代物弁済を登記原因とする右一六戸の建物についての所有権移転登記手続を求める訴訟を提起したが、沢は公示送達による呼出しを受けながら右訴訟の口頭弁論期日に出頭しないまま昭和二九年一二月二一日双葉織物勝訴の判決がなされ、右判決は昭和三〇年二月二日確定したことを認めることができ、右認定に反する(証拠)は前掲各証拠と対比して信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠がない。

右認定事実に徴すれば、双葉織物が沢に対して代物弁済予約完結の意思表示をし、実体法上右一六戸の建物の所有権を取得したのは、遅くとも昭和二九年五月一四日頃といわねばならないから、昭和二五年(ワ)第一五四八号事件の口頭弁論が終結された同年八月六日より前のことであることは明白である。

(二) ところで、民事訴訟法二〇一条一項にいうところの口頭弁論終結後の承継人とは、確定判決によつて拘束される当事者又はその承継人に対して自己がその相手方の承継人であることを有効に主張しうる者と解すべきであつて、物権又は債権のように、その承継を第三者に対抗するためには法律に定められた対抗要件を具備することを要するものについては、訴訟物たる権利関係が実体法上承継された時期を標準とすべきではなく、その対抗要件が具備された時を標準として、口頭弁論終結後の承継人であるか否かを決すべきである。けだし判決が、勝訴の確定判決である場合に、承継人が前者より承継した自己の権利を相手方又はその承継人に対し主張するためには、対抗要件の具備を必要とするものである以上、勝訴の確定判決の効力を主張するに当つても対抗要件を具備することが必要であるといわねばならないし、敗訴の確定判決である場合にも、相手方又はその承継人は、対抗要件を具備しない権利の譲受人に対してはその権利を否定する等積極的な行動にでる必要が少しもなく、譲受人が対抗要件を具備してはじめて敗訴の確定判決の効力を主張すれば足りるからである(大審院昭和一七年五月二六日判決、民集二一巻一一号五九二頁参照)。

(三)  これを被告と双葉織物との関係においてみるに、前記認定事実に照らせば、双葉織物が沢より代物弁済によつて実体法上前記一六戸の建物の所有権を取得したのは遅くとも昭和二九年五月一四日頃であつて、昭和二五年(ワ)第一五四八号事件の口頭弁論終結時である同年八月六日より前であるけれども、双葉織物がその旨所有権移転登記をしたのは昭和三〇年九月二七日であつて右事件の口頭弁論終結時の後であることが明白であるから、近畿土地が自己の所有であると主張する一戸を除き、第一の一乃至五の家屋を含む他の一五戸の建物について、双葉織物は右事件の確定判決における沢の口頭弁論終結後の承継人として、沢敗訴の一審確定判決の効力を受けるものというべく右口頭弁論終結後新たに被告より右家屋について権利を取得したとの主張及び立証のない本件において、原告らも双葉織物の承継人として、右一審判決の既判力を是認するほかなく、被告に対し、第一の一乃至五の家屋につきそれぞれその所有権を主張することは、もはや許されないといわねばならない。

四、したがつて、第一の一の家屋につき原告谷村が、第一の二の家屋につき原告渡辺両名が、第一の三の家屋につき原告中村が、第一の四の家屋につき原告森本がそれぞれその所有権を有することの確認を求める原告ら五名の第一次請求及び第一の五の家屋につき原告山口がその所有権を有することの確認を求める原告山口の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当である。

第二原告ら五名の予備的請求について

一、原告谷村は第二の一の家屋部分につき、原告渡辺両名は第二の二の家屋部分につき、原告中村は第二の三の家屋部分につき、原告森本は第二の四の家屋部分につき、それぞれその所有権を有すると主張する。

ところで、一個の物権の客体は一個の独立した物でなければならないといういわゆる一物一権主義の原則は、所有権の如き物に対する強力なる支配権においては、厳格にこれを解しなければならない。けだし、これを緩やかに解すると、取引の相手方に不測の損害を与えることとなり、又これに適した公示手段を欠くという結果になるからである。したがつて一棟の建物の一部について、いわゆる区分所有権が成立するといいうるためには、その部分が独立の出入口を有し、直接あるいは共用部分を利用することによつて外部に通じている等、社会通念に照らし構造的、経済的に独立して住居、店舗、事務所又は倉庫その他の建物としての用途に供することができるものでなければならない(昭和三七年法律第六九号、建物の区分所有等に関する法律一条参照)。

二、これを本件についてみるに、<証拠>によると、第一の一の家屋部分については、その一階は旧来の家屋と仕切る等の工作がなされておらず、旧来の家屋には独立した出入口はなく、又その二階へ昇るには旧来の家屋より取りつけられた階段を利用する外ないこと、第二の二の家屋部分については、その一階は旧来の家屋と一体とした上店舗として利用されているし、二階は旧来の家屋より二階に通じる階段が設けられている等旧来の家屋より独立しているとはいえないこと、第二の三及び四の各家屋部分については、いずれもその一階は一応事務所として利用されているが、旧来の家屋から独立しているとはいえず、旧来の家屋に固有の出入口もなく、その二階もこれに通じる階段が旧来の家屋より設けられている等独立した構造を有するものとはいえないことを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠がない。

しかして、他に第二の一乃至四の家屋部分が構造上独立していることを認めうる何らの証拠もないから、第二の一乃至四の家屋部分は、いずれも独立の所有権の目的とはなりえないといわねばならず、したがつて右家屋部分につきそれぞれ区分所有権を主張する原告ら五名の第二次請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当である。

第三 結論

よつて、原告ら五名の第一次請求及び第二次請求、並びに原告山口の本訴請求を、いずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(下出義明 寺沢栄 喜多村治雄)

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